2010年5月20日木曜日

当地当節メイド事情


湖畔の風景




当地フィリピンにはメイドという職業が普遍的にある。

人口が多い故にか、貧しい故にか、まずはその両方から起こってくることだろうと思う。その昔、日本にも敗戦後しばらくの間まではそんな職業が、日本では「女中さん」といっていたが、女性の仕事として普遍的だったように思う。時代は流れて今は絶滅したようだ。
当時、日本は人口が多いともいわれていたし、全体的に貧しくもあった。

大手マスゴミ情報操作。煽りは派手々々、誤報訂正謝罪は分からぬ程小さく小さく

今現在、その人口と貧困がこのフィリピンに存在している。ゆえに女中さんが多いということであろう。そして男にとっても、老いも若きもそのような職業で生活をなしている人々もまた多い。さしずめ下男というところであろうが年をとっていても当地では多分「ボーイ」という呼ばれ方をしているに違いない。

日本の昔のように大家、良家のみならず、当地ではごく一般普通の家庭が一人二人とメイドなり下男なりを雇っている。家が日本の家屋に比べて少々広いという感じはするが、それよりはたぶん賃金が安いということの方が大きな要因であろうと思う。住み込みで月給1000ペソ2000円から1500ペソ3000円くらいのようである。

少しでも多くの人々が生きてゆけるようにと、多分に互助互恵共生的な意味合いも一部含んではいるのだろうと想像している。

ところが問題は彼ら彼女らの身分である。
長年いわく因縁があったり、とてもお互いの相性が合ったりして家族同様のありようを呈しているメイド下男たちもいるように見える。
他方、そのような馴れ合いではなく極純粋に雇われているという形のありようが大半なのではないだろうか。

それらお互いのありようはそれぞれ様々なのであろうが、彼らは概ね生まれながらに家庭が貧しいというのが決定的のようである。何となれば、というのも少々変であるが、山奥の民であったり、僻地の民であったりする場合が多いようである。

制度的な身分ではないにしろ、決定的に社会的階層身分としては生まれながらにそのような職業につくしかない状況である。
貧しいから勉強ができない。勉強ができないから、職業選択の余地がない。余地がないから低賃金労働に甘んずるしかない。甘んずるしかないからいつまでも貧乏である。いつまでも貧乏であるから、人生の選択の余地がない、とこのような悪循環に陥ってゆかざるを得ないように思われる。

人間が多すぎることも一人一人の相対的な価値を低めている。命の価値を低めている。その裏には宗教がある。ここまで宗教がうそっぽく見える国もまた珍しいのではないか。

宗教なぞなくても人間は生きられるということを日本は例として示せるのではないだろうか。たしかに日本の土台には儒教、仏教もありはするが。

〔 偏向マスゴミ。煽りは派手々々、誤報訂謝罪は小さく小さく 〕

前振りが長くなったが、今回はこんな例を紹介してみようと思い立ってこれを書いている。

近日フィリピンでは大統領選挙が実施された。大方の比国国民同様私も何の興味もない。その理由もまた大方と同じく、多分誰が大統領になったとしても今までと何も変わることはなかろうからである。
日本の同日選挙よろしく、各地方自治体の首長たちの選挙も同時に行われた。

ここ我がビレッジ内にとある人物がいると思し召せ。

とある人物の息子がとある地方の首長であり、今回もまた首長選挙に立候補した。とある人物は我がビレッジ内にも邸宅があるが、その地の出自であるから当然その地に実家邸宅を構えている。このとある人物が息子を応援するのは当然のことで何もおかしくはない。とある人物は大枚をはたいてどこから大勢を集めたのか応援のため大挙してその地へ留守をした。

フィリピンの選挙は尋常一様のものではない。選挙演説などという馬鹿げた非効率なぞ絶対にしない。ただひたすらに金をばら撒き、貧乏人どもにお米と缶詰食料品を、地域を挙げて配ってゆくのである。まことにもって効率のよい選挙戦術を取る。
当然金は要る。

そして大枚叩いて一財産つぶした結果が案に相違して今回は負けたとのこと。
勝ってこそ選挙に投入した大枚も回収できるというもの。
今回は負けた。さてどうする。

結果、当ビレッジ内の邸宅に雇っていた老婆を含む2名のメイドの首を切った。
月々どれほどの給金を得ていたかは知らぬ。どれほどの長きに渡りそこに雇われ、どのような人間関係にまで至っていたのかも知らぬ。

突然のこととて老婆と中年子持ちおばさんの二人のメイドは泣いていたとのこと。泣きながらわが女房に相談してきたとのこと。金を貯められるような給料ではなかろう。

主人の都合でどうとでも何時でも処置されてしまうこの国のメイドの身分。
主人がある日突然メイドを新たに選べば、何の抵抗もできずに首をきられて換えられてしまうメイドの身分である。

フィリピンにも労働問題を取り上げる部署は行政にもあるそうな。決して泣き寝入りをすることなく行政に訴え出るようにと女房は助言をしたそうだが果たしてどうなることやら、老婆にそのような勇気はあるだろうか。

フィリピンに限らずではあるが、金持ち連中の横暴はまことに許せないものがある。非人間的。他人の命をなんとも考えていない。犬猫と同じ。金持ちにとってはわずか1円か2円ほどにしかならないメイドや従業員の月給をまず無慈悲に削ってしまう。
まことにこの国フィリピンにおけるメイド業の身分の不安定さを思い知らされる。
同じ人間、同じフィリピン人同胞ではないかと考えるのは甘すぎるのか。甘いのであろう、全世界でこのような例は五万とあるゆえに。

もう一つの例も記しておこう。
田舎出のメイドが都会の我がビレッジのとある金持ちの家に雇われてきたと思し召せ。この一流会社勤めの女主人たる人物がまた因業。携帯電話を使ってはならぬとメイドの携帯電話を取り上げ、隣近所と話しはしてはならぬ、友達となってはならぬ、他所へ出て行ってはならぬ。日中もわざわざ会社から電話をして来て今何をしている。帰ったら帰ったで一日中何をしていた、昼寝をしていたのではないかとの詮索。ホームシック解消に実家兄弟への電話もままならず、話し相手も作れず、365日一日の公休日も無しと泣いている。

辞めたい、とこれまた女房のところに駆け込んで来たゆえ、日本の大手企業下請けの派遣で働いたときはこれにも似た、さらに厳しく徹底的に苛め抜かれ、通訳も付かぬ裁判を闘い負けもした女房であったが、宗教心、義侠心ともに強い女房ゆえ、これまた許せぬと親類縁者を回ってどこかへ押し込んだようだ。

これらが当地メイド業の身分の実態である。

まるで人間扱いではない。権利などとはおくびにも主張できず、着の身着のままで逃げ出すしか他に手立てがないのである。同じ人間同士が斯くまでやるかと思える状態である。こうなればもはやこの国には身分制度が現存しているとしか我々日本人には考えられない。シンデレラ現象でも起こらねば一生這い上がることも難しかろう。犬猫にも劣るホープレスの人生、ホープレスの一生である。

うちのメイドは電話も自由、週一の休暇日もある。少ないながらも一年一度のボーナスもある。今は、歯の治療と称して二ヶ月間の休暇取得中である。

女房が相談を受けて心配もしている更にひどい耳を疑うような他の例も2~3ある。
どこの国でも無慈悲はある。
人間の命を救うことを考えるのが政治というものであろうが、政治が人を死に追いやってどうする。彼の国の彼の歴史に長く名を留めよう、彼の人よ。人非人たるか、将来に。

首を切った上に冬の寒空に寮をまで即刻追い出してしまう金持ちども。どこで今晩から寝泊りするつもりなのだろうか。それを想像さえできないというより、想像することを拒否してしまう金持ちども。他人の命など知ったことではない。きれいな着物を着た人非人である。

我々に今幾ばくかの金があれば、今少しばかりはどうにかしてやれようとは思うものの、、、。いや、それが出来れば出来たでその暁にはそのようなことを我々もまた考えることもないかもしれない。
世の中実によく出来ている。


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